薩摩切子


薩摩切子
薩摩切子 --wikipedia--
切子

 


薩摩切子物語
薩摩切子物語(1)
 薩摩切子の誕生
薩摩切子物語(2)
 篤姫の嫁入りの品にも
薩摩切子物語(3)
 イギリス艦艇の集成館砲撃
薩摩切子物語(4)
   薩摩切子途絶える
薩摩切子物語(5)
 江戸切子との違い
薩摩切子物語(6)
 色被せ薩摩の特徴「ぼかし」
薩摩切子物語(7)
 江戸への影響
薩摩切子物語(8)
 薩摩ガラス工芸で生産
薩摩切子物語(9)
 島津家の島津興業

薩摩切子

薩摩切子の冷酒グラスなどと言われますが、薩摩切子は、薩摩藩が明治の初めころ生産したカットグラスのことです。一時衰退しましたが、現在は復刻生産されています。復刻するのも相当大変でした。吹きガラス工場の人や、加工職人、有識者、研究者など多くの人の協力があったのです。
薩摩藩主島津斉興が江戸の職人を呼び寄せ、細工に改良を加えて薩摩切子としました。
しかしその後、薩英戦争時に砲撃で被害を受けたり、動乱などもあって、その技術は明治初頭で途絶えてしまいました。薩英戦争と言うのは、生麦村でイギリス人を切り殺したため、怒ったイギリスが軍艦でやってきて艦砲射撃で多くの家屋や工場などを破壊したのです。
このため当時の本物の薩摩切子は、現存するものは大変に少なく貴重で、骨董として高価で取引されています。

そのころの江戸切子との違いは、江戸切子が透明な透きガラスに細工を施したものなのに対し、より細かい細工や、表面に着色ガラス層をつけた生地にホイールを用て大胆な加工がなされています。
色被せの薩摩の特徴として、特にその色の層の厚さがあります。
この厚みの厚い着色層に、大胆なカッティング細工を施す事によって色のグラデーションが生まれます。これは薩摩ならではの技法であり、独特の技術で、これを「ぼかし」と呼んでいます。

昭和60年代に入り、薩摩切子の復刻が試みられました。その結果各地のガラス工場・職人・研究家等の協力もあって復刻できるようになりました。
現在は、古い薩摩切子を忠実に再現した復元物や、その特徴を踏まえて新たなデザインや色を加え、創作的なものも作られています。
その復刻版の薩摩切子はおもに鹿児島県で生産されています。
例えばグラスに細工を施す場合、グラスの内側からグラインダーの刃先を見つめながらそのグラスの表面をカッティングします。ところが薩摩の厚い色ガラス層はグラインダーを見難くしてしまいますので、作業には高度な技能を要するのです。このような高度な技能があるのですが、国の伝統的工芸品には指定されていません。国の指定基準によりますと、伝統的工芸と言うのは100年以上の長い間、その技術が人から人へ伝承されてきたものとなっています。薩摩の場合、一度途絶えてしまっていますので、研究の結果同じような細工が復刻できても認定されないのです。


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