江戸切子物語(歴史)
ガラスと言うのは日本にも古くから伝わってきていますが、表面を綺麗にカットしたグラスが入ってきたのは4世紀か5世紀ころです。
遠い遠い地の果てとも思えるペルシャという国からはるばる運ばれてきました。
チカチカと輝く細工のグラスに当時の人は驚き、驚嘆し、感動しました。
珍しい貴重な宝物として大切にしました。
美しい模様が刻み込まれた水差しなどの細工に人々は驚嘆したに違いありません。
ところがどういうわけかあまり明確なことは分かりませんが、その後、とにかくどこを探しても日本の歴史からスパッと消えてしまっているのです。
しばらくの間、切子は発見されていません。
1000年以上も空白の時期があるのです。
しかし16世紀も中ごろになって、ようやくスペイン人のフランシスコ・ザビエルが日本に切子を紹介しました。江戸時代より少し前のことです。
眼鏡も持ち込んでいます。眼鏡は江戸時代より前にに入ってきています。
フランシスコ・ザビエルは、日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名な宣教師です。
カトリック教会の聖人で、日本やインドなどで宣教を行い、聖パウロを超えるほど多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれています。
16世紀中ごろと言えば、徳川家康が江戸幕府を開く数十年前のことです。
このころに切子細工のグラスを見せられれば日本の人々は驚いたに違いありません。
江戸切子とか薩摩切子といいますが、これらはもう少し後の話になります。江戸切子は日本人の手で初めて作られた細工のことで、江戸で作られましたので江戸切子と呼ばれます。
薩摩切子はそれよりもさらに遅く、明治に近いころの話になります。
薩摩藩で江戸から細工職人を招いて事業を起こしたのです。江戸のものよりも一歩進んだものにしています。後に薩摩切子は衰退しますが、その技術は江戸に伝えられています。
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